本文中の久石さんの言葉
クラシックの土台の上にいる自分を受け入れよう
深いです。二十歳のころの自分だったら、強く反発していたでしょう。
民族音楽に出会った二十歳ごろ、クラシックを捨てようと思っても捨てられませんでした。
血と知がオタマジャクシとピアノを捨てることを許しませんでした。
「クラシック音楽も民族音楽だ」と解釈できるまで、相当の時間と経験、知識の蓄積を要しました。
今はベートーヴェンの曲に歓喜する心、フォーレの曲に黙祷する心、イタリア歌曲の巻き舌にこだわりたい心を素直に受け入れられます。
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