世の中にある様々な職業の中で、それぞれ職業病があると思います。同じ風景光景に出会っても、その人の職業によって感じることや気になることがまったく違ってくると思います。教員ももちろんあります。
今日は生活の中で職業病が出てしまうこと3つを話します。
教員あるある1:無意識に教材を探してします
無意識のうちに教材になる物は何かかないかとアンテナを張ってしまう職業病です。
普段街中を歩いていたり、何気ない行動をしている時にも「あ、これ使えそうだな」と思ってしまうのが、教材探しという職業病です。
私の場合は街中に流れている音楽…特にラジオで流れている音楽は「これなんだろう」「使えそうだな」と思ってしまうのです。
それから、趣味のバードウォッチングをしている時、その時には教材を探そうなんて思っていないのですが、「あ、これは《春》の鑑賞で使えるな」と後で思ったりするのです。こういった何気ない教材探しも職業病です。
それからYouTubeやTwitter、FacebookといったSNSのトレンドを見て、「授業で使えそう」と思います。
本人は探そうと思って探していないのですが、何となくアンテナに引っかかって「これは使える!」と思ってしまうのは職業病だと思います。
教員あるある2:知らない子どもにも教育的指導をしてしまう
公共の場所で大きい声を出していたり、道いっぱいに広がったり、車道に出たり。こういった目に余る行動があります。教員はこういったことを察知する能力がありますし、察知した場合、敢えて避けます。もしそれが自分の学校の子どもなら指導をしなければいけないので面倒だからです。
逆に、自分の学校でない場合は言いたくなっちゃうけど言えない…またこれも面倒です。街中でこのような光景を察知したときにはなるべく避けてしまうのが職業病だと思います。
私は一度だけこの職業病「敢えて避けてしまう」を破ったことがあります。
空港で動く歩道を小学生たちが歩いている時に、ベルトの部分に体を預けたり、逆走したり、途中で降りたりというのが目に余って反射的に「はい!走らな~い」と口が出てしまいました。
その時に子どもたちのきょとんとした顔は忘れられません。何でもないおばさんから急に注意されたのでびっくりしたと思います。生徒への指導は、生徒と教員という信頼関係があってこそだと改めて感じました。
教員あるある3:家族に対して教育スキルを発揮してしまう
自分の若い時はもちろん教育のスキルがなかったので、親や周りの人が自分の先生でした。しかし、教育のスキルが身に付くと家族に対してもそれをしてしまうことがあります。
私の場合は「主人」です。主人に話す時に、教育のスキルが生かされてしまうことがあります。
主人はまったく家事をしない人でしたが、今では圧力鍋で角煮を作ったり、毎週カレーを作ったりするのも主人です。それをしてもらう時に、無意識で指導をしてしまうのです。
例えば、スモールステップを設けるとか、1つできたらすごく褒めてあげるとか、そういった中学生に普段しているような教育を主人にしてしまうことがあります。
これは職業病だと思います。
まとめ:教員の職業病あるある|日常生活でついつい発揮してしまうこと
色々な職業には職業病がそれぞれあると思います。教員も普段特殊な環境にいますので、生活の中で見え方や感じ方が違ってきます。皆さんにはどんな職業病がありますか?
この記事の内容は動画と同じです。
動画「教員あるある?教員の職業病①日常生活でついつい発揮してしまうこと」も是非ご覧ください。
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